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8.接地工事の歴史

5)日本地工の接地の誕生 〜日本の鉄道史に残る仙山線交流電化試験〜

1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)までの約2年半、仙台と山形を結ぶ国鉄仙山線において日本の鉄道史に残る大実験が実施されました。日本初の試みである鉄道の交流電化試験です。この実験の成功により、その後の日本の鉄道において交流電化方式が採用されることとなり、更には新幹線の開発の土台にもなるものでした。 僅か2年半の短期間で実用化にこぎつけるという当時の技術者の活動力と精神力には驚きを感じると共に尊敬の念をも抱くものであります。この仙山線交流電化試験に関しては、多くの資料が保存されているので、ご興味のある方は資料をご覧いただき、当時の技術者のバイタリティを感じていただきたいと思います。

交流電化開業の日の記念列車 仙台駅1957年(昭和32)9月5日(柏木璋一 撮影)

交流電化開業の日の記念列車
仙台駅1957年(昭和32)9月5日(柏木璋一 撮影)

仙山線は山形と仙台の間にある山岳地帯を走る鉄道です。そのため、地盤が固く、接地工事には大きな苦労があったようです。その接地工事が如何に苦難であったかを物語る資料として東北福祉大学・鉄道交流ステーション発行の『図録 仙山線交流電化試験』の中の“再録『大塚会三十年』より”の中に垣間見られます。

交流電化試験の思い出  東京電気工事事務所長 渡辺進氏
(前略) 通信助役清水一ニ氏の話によれば、この仙山線の試験区間は広瀬川の長年に亙る堆積作用によるためか砂礫と泥との地層からなり、水の層も深いため規定のアース抵抗をとるのにいろいろ工夫をこらしたと。(以下略)

試験工事区の思い出  東京電気工事事務所試験工事区技術助役 横井昌明氏
(前略) なかでも随所に1Ω程度のきわめて低抵抗アースを設置することには苦労したものです。本局の設計者自身どのような接地工事をしたら期待通りのアース抵抗が得られるかの経験も乏しく、またこのような低い接地抵抗の測定方法自体にも問題が多かった当事のこととて、現地で試行錯誤を繰り返し、施工後設計書類を現地作業に合わせて作成するというまさに本局現場一体になっての作業が続いたものです。(以下略)

作並駅にある交流電化記念碑 (日本地工撮影)

作並駅にある交流電化記念碑
(日本地工撮影)

この当時、日本地工は打込み式の鋼製アンカーを作成・施工を行う会社でしたが“鋼を大地に打込む技術”が接地電極の打込みに流用できるのではないかということでお声掛かりを頂戴しました。日本地工は、これに対し新しい打込み式の接地電極を開発し、仙山線の交流電化試験に於いて新たに開発した打込み式の接地極“ディープアース”を施工いたしました。 なお、当時の接地の試験(ディープアース)については『日本国有鉄道交流電化調査委員会資料』にも記録が残っています。

接地電極と接地工法の開発

接地電極と接地工法の開発

ここでの接地工事がきっかけとなり、日本地工の接地事業が本格化していきました。東海道新幹線の建設工事(昭和39年開業)、国鉄本社ビル(昭和37年竣工)など、高度成長期を支える様々な事業に採用されるようになりました。 以下のカタログは昭和35年頃に使用されていたものです。

昭和35年頃のカタログ、初代東海道新幹線0系

昭和35年頃のカタログと初代東海道新幹線0系

《謝辞》 本項を作成するにあたり、東北福祉大学・鉄道交流ステーション様の丁寧かつ熱心なご協力を賜りました。ここに感謝の意を表します。
・参考文献
1)図録 仙山線交流電化試験 :東北福祉大学 鉄道交流ステーション ブックレット03 2015
2)交流電化と鉄道の発展 〜仙山線での試作電気機関車性能試験〜[改訂版]  松野匡雄
:東北福祉大学 鉄道交流ステーション ブックレット01 2008-2012
3)日本国有鉄道交流電化調査委員会 資料 X 委員会編 _昭和31年3月