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8.接地工事の歴史

3)明治時代

日本は、明治期に入ると欧米諸国の技術や文化を積極的に取り入れ近代化に邁進していきます。その躍進ぶりは、当時、諸外国から“死の跳躍”と呼ばれており、現在の我々には想像もできないくらいの変革であったであろうと推測できます。平成26年度の「富岡製糸場と絹産業遺産群」、平成27年度「明治日本の産業革命遺産」と立て続けに明治時代の日本の産業的シンボルがユネスコ世界遺産として登録されたことを見ても、明治時代の産業の躍進が他に類を見ない凄まじいものだった事が伺えます。

この産業の躍進の中で、接地技術も著しい発展を遂げています。明治初期の接地は、板状の接地極を埋めるだけでしたが、時が進むにつれ様々な形状の接地が誕生し、接地抵抗という概念も浸透していきます。また、接地電極の腐食対策技術や接地抵抗低減剤の原型なるものも存在するようになりました。 そしてこれらの技術を基に、明治29年5月、電気事業取締規則 第53条にて初めて接地に関する規定が定められました。 その“電気事業取締規則 第53条”内容の一部を以下に示します。なお、かなり古い文章で変換できない文字もありますが、できる限り当時の字を用いて記載いたしました。(アンダーラインの字は当時の漢字に変換できなかった箇所です。)

第五十三條 電線ヲ納メ若ハ之ヲ装スル爲用フル金属體ハ充分大地ト電氣的接續ヲ爲

更なる技術の進歩につれ明治44年9月、ついにA種接地工事、B種接地工事の基礎となった電気工事規定が発行されました。電気工事規程 第28 条にて、第一種、第二種の地線工事が規定され、第一種地線工事の接地抵抗値は10Ω以下、第二種地線工事の電圧値は150V以下と決められました。 その“電気工事規定”内容の一部を以下に示します。 かなり古い文章で変換できない文字もありますが、できる限り当時の字を用いて記載いたしました。(アンダーラインの字は当時の漢字に変換できなかった箇所です。)

第二十八条 地線工事ハ左ノニ種トス  (※“左”と記しているが、本編では“下”に記載)
第一種地線工事 地線ニハ直徑八厘五毛以上ノ圓形ノ銅線又ハ直徑一分三厘以上の圓形ノ鐡線ヲ用ヰ且埋設金體ト大地トノ電氣抵抗ヲ十「オーム」以下ニ保持スルモノ又ハ之ト同等以上ノ力ヲ有スルモノ

第ニ種地線工事 地線ニハ前號規定以上ノ金線ヲ用ヰ且地線ト大地トノ間ノ電氣抵抗ハ地線ト大地トノ間ニ於ケル電壓ヲ百五十「ヴオルト」以下ニ保持スルモノ又ハ之ト同等以上の力を有スルモノ

この接地抵抗値や電圧がどのようにして決定されたのかは定かではありませんが、この当時に接地抵抗が決められたという背景には、接地抵抗を低減させるための接地工事の方法や接地抵抗の測定方法が確立されたからに他なりません。つまり、今ある接地技術の礎は、明治時代にはほぼ確立されたと言っても過言では無いと考えています。